【五輪】なぜ日本人選手は謝るのか? 社会学者の論考『選手はもはや「個人」ではない』にみる責任と呪縛
熱戦が繰り広げられている平昌オリンピック。メダルの期待がかかる日本人選手が続々と登場してくるなか、気に掛かるのは、その期待通りの結果を出せなかったときだ。これまでオリンピックなどのビッグイベントではしばしば、日本人選手がテレビの向こうにいるファンに向けて、涙ながらに謝る姿を目にしてきた。なぜ日本人選手は“謝る”のだろうか? スポーツの勝敗は誰のものなのだろうか? 平昌オリンピックが開催中で、東京オリンピックを2年後に控えている今だからこそ、あらためて考えてみたい。