【高校野球】10年目の夏、息子は監督として甲子園出場。県内初の「イヤー・オブ・ザ・コーチ」を受けた父も届かなかった悲願
仙台西の1度目の甲子園を、監督として率いた大友敏さん(55)も、自分の父の背中を追っていた。1980年、父の十三男(とみお)さんが監督を務める名取で、大友さんは左翼手として宮城大会に臨んだ。父は「熱い人」。勝負哲学や信念を選手たちに説き、試合中は闘志をむき出しにして、選手よりも大きな声を出した。「長男としてよりも、部活で1人の生徒として父の思いを教わった」東北との準々決勝は、鋭い変化球の中条善伸投手(元巨人)の直球に的を絞り、中前安打を放った。