藤波辰爾・ベストバウト 猪木「やれるのか?ビンタビシッ」藤波「やれます!ビンタビシッ」→ハサミで自分の髪を切る ( ゚д゚)ポカーン
覚悟を示した「飛龍革命」。この危機的状況に立ち上がったのが、長年、猪木とともに新日本を支えてきた藤波だ。'88年4.22沖縄・奥武山体育館での試合後、控室に戻った藤波は猪木に対して事実上のメインイベンター交代を直訴。「やれんのか、おまえ!」と顔をビンタで張った師匠・猪木に対して、ひるむことなく強烈な張り手を返し、救急箱内にあったハサミで前髪を切り覚悟のほどを示した。