【箱根駅伝】大東文化大、新興校から「山の大東」へ…歴史は瀕死の選手バス衝突事故から始まった
1968年に初出場した大東大は、7年後の75年に初優勝を果たした。初陣は最下位の15位だったが、68年春に青葉 昌幸よしゆき さん(80)が監督に就任してからは毎回シード権を確保し、頂点まで上りつめた。それから計4度の優勝を誇る実力校の草創期には、痛ましい事故があった。■徹夜で看病した青葉監督、選手の心つかみV4度へ道…1975、76、90、91年青葉さんが監督に就任して間もない68年6月、遠征先の神奈川県小田原市で、選手たちが乗っていたマイクロバスが、丁字路で横から来た車に衝突された。