【東洋経済日報】呉 文子さん「岡山の後楽園で光復節を祝った、あの光景が再現フィルムのように蘇って万感胸に迫る」
あれから69回目の夏が過ぎ去ろうとしている。1945年の春、私たち家族は、姫路から播但線でいくつか北に向かった香呂という鄙びた山村にしばらく疎開していた。小学2年生になったばかりの私は、その日も甘い香りが漂うレンゲ畑で、花輪や花冠などつくって無心に遊んでいた。突然母のとてつもない叫び声がしたので振り向くと、「文子!文子!」と息を弾ませながら走ってきた母は、無言のまま私の手を力一杯引っ張って夢中で走った。