【中央日報】「非難強迫観念」を患っている韓国
「このままでは私たちの後世には目がつぶれた子供たちがたくさん生まれるのではないかと思うと恐ろしい」。ある友人が不意にした話だ。熱心なキリスト教信者である彼は聖書に「分け前を得るために友を訴えるものは、その子らの目がつぶれるであろう」という御言葉があると言った。怨恨関係もない対象に向かって自身の怒りや嫉妬心、優越感あるいは単に何か言いたい欲望を満たそうと非難する行為は、結局のところ心理的な補償(分け前)をねらったもので罪のくびきから自由になることはできないという言葉だった。