【佐賀新聞】唐津拾遺集 武寧王と加唐島 加唐島には古代朝鮮語を思わせるカタカナの地名が残っている
◆朝鮮と関係地名に痕跡
唐津は地理的に見て朝鮮半島に近く、古くから人や文化の交流窓口としての役割を担ってきた。その一例として「日本書紀」の雄略天皇紀5(461)年の条に記されている嶋王の話が挙げられよう。百済21代王の加須利君(かすりのきし)(蓋鹵王(がいろおう))が弟の軍君昆伎(こにきしこにき)を倭国に貢(たてまつ)る際、自分の子をすでに孕(はら)んだ側室を与え、途中で子が生まれれば送り返せと命じた。