【中央日報】短刀として戻ってきた朝鮮の「積弊技術」朝鮮から日本に流出した先端製錬術 鉛銀分離術「銃」へと変化し朝鮮の心臓を
随筆家の皮千得(ピ・チョンドク)先生はこのように書いた。「愚者は縁に巡り合ってもそれが見えず、凡人は縁だと思いながらも見逃し、賢者は襟をかすめただけで縁を生かす」。何も縁だけのことだろうか。手に持ってきた機会を機会であることすら分からずに、逃した後に逆にもっとひどい目にあった愚かさを歴史は記録する。 1543年、日本九州南端の種子島の島主・時尭は漂着した中国商船に乗っていたポルトガル船員からマスケット銃(火縄銃)2挺を購入した。