【台湾日本人物語 統治時代の真実】日本を今も忘れぬ「台湾少年工」なぜこの国(韓国)は国同士の約束や取り決めを守らないのか
※有料会員記事
あどけなさも残る台湾出身の少年工。戦時中の昭和18(1943)年から2年間で計8400人以上の10代の台湾出身の少年が神奈川の「高座海軍工廠(こうしょう)」で、戦闘機「雷電」の製造に携わる一方、勉学を続ける「半読半工」の生活を送った(台湾高座会留日75周年歓迎大会事務局提供)韓国で相次ぐ、いわゆる「徴用工」訴訟の理不尽な判決を聞くたびに、ウンザリしている日本人は多いだろう。