【デイリー新潮】敗戦後も中国共産党軍と4年近く戦っていた日本兵たちを知っていますか
ー前略ー
・1945年8月山西省にて
澄田は山西省中原の司令部で8月15日の玉音放送を聴いた。しかし、澄田の第1軍は、その日をもって武装解除することはなかった。軍としての統制も保っていたし、戦闘を交える準備さえしていた。ただし、その相手は国民党軍ではなく、中国共産党軍だった。一方で、支那派遣軍の総司令官である岡村寧次が8月15日以降中国および台湾各地の司令官に発した命令は、国民党軍に降伏し、武装解除したのち、帰国せよというものだった。