【戦後70年】「日本最後の空襲」の悲劇 埼玉と熊谷を空襲したB-29がたまたま残っていた焼夷弾を落としていく
■日本最後の空襲となった神奈川・小田原市の傷痕を取材しました。70年前の8月15日、終戦を告げる玉音放送が流れました。そのわずか半日前、神奈川・小田原市では、アメリカ軍の空襲により、12人が犠牲となっています。日本最後の空襲、その傷痕を取材しました。戦時下の小田原地方を記録する会の事務局・井上 弘さん(60)は「くぼみがもうそのまま、直径10メートル近く、7~8メートルだから、このくらいですよね。