【歴史】古関裕而が「史上最悪の作戦」のビルマで体験した恐怖 「牟田口閣下は毎日粥を二度食っては毎日釣りをしている」
「エール」第17週では、いったんは召集令状が届いた古山裕一(窪田正孝)だったが、作曲活動での戦争への貢献が認められ、召集解除となる。だが、古山が戦地に行くことを免れたわけではなかった。慰問要員に選ばれたのである。10月12日からの第18週で、古山は激戦地ビルマ(現ミヤンマー)を訪れることになる。古山のモデル・古関裕而が特別報道班員としてビルマに派遣されたのは終戦前年の1944年4月。