【韓国】高麗の面積、今の定説よりはるかに広かった…日帝時代に国境線を引いた津田左右吉「高麗の人々は嘘つきだった」
▲朝鮮総督府官営学者・津田左右吉が設定した高麗国境(左側)と仁荷(インハ)大古朝鮮研究所が主張する高麗史および当時の中国側公式史書・遼史、金史を反映した高麗国境.[写真仁荷大]高麗の国境が既存の学説よりはるかに広かったと推定される内容の研究叢書が最近発行された。仁荷(インハ)大古朝鮮研究所朝鮮史研究チームが先月31日発行した研究叢書「鴨緑と高麗の北界」は高麗の国境線が西側の鴨緑江河口から東側の元山までという学界の定説を否定した。