未開な朝鮮と開化した日本の接点となった朝鮮通信使、朝鮮の先進文物を伝えてやったという話は100%嘘
朝鮮王朝は壬辰倭乱(※訳者注:豊臣秀吉による1592~1593年の文禄の役、広い意味では1597~1598年の慶長の役を含め日朝明の戦乱)で日本との国交が断絶されたのだが、1607年(宣祖40年)に再開されると同時に朝鮮通信使が日本を訪問するようになった。当時の日本は徳川家康(1542~1616年)が権力を握っていた時期で、幕府将軍の治世を確立し、朝鮮と善隣関係を維持する次元から朝鮮通信使の訪日を推進するようになった。