【ハンギョレ】「父の名誉に関わる」靖国合祀取り消し…「絶対にあきらめません」
「父の名誉を守るため、私は人生をかけて戦っているのです。絶対にあきらめるつもりはありません」ー中略ー
父の無念の死に関心を向けることになったのは、結婚して子どもたちをある程度まで育てた1989年7月頃からだった。その3年後の1992年、イ代表は父の死亡記録を確認することになる。1971年、韓国政府が日本から得た「戦死者名簿」に「1945年6月11日、中国江西省の第181兵站病院で死亡した」という記録を捜しだした。