【歴史】「呰麻呂の乱以降、混乱が拡大した背景には移民政策に対する蝦夷側の反感の強さがある」 “伊治城”から東北古代史を読み解く
奈良時代後半、朝廷が支配地拡大のため栗原市築舘に造営した政治・軍事施設「伊治(これはり)城」から東北古代史を読み解くシンポジウム(東北学院大アジア流域文化研究所主催)が19日、同市内で開かれた。「続日本紀」によると、伊治城は767(神護景雲元)年に造営された。780(宝亀11)年、郡の長官だった伊治公(きみ)呰麻呂(あざまろ)が、さらに北方に城を造営するために朝廷から派遣された按察使(あぜち)らを城内で殺害した。