【死んでも靖国行けない】東京五輪、靖国、沖縄、福島の「点と線」 国策の犠牲を考える…
ある日の靖国神社
きっかけは運転手のおじさんの一言だった。緊急事態宣言が明ける数日前、6月中旬。仕事が長引いて、子どもの保育園の迎えに間に合いそうもなく、やむなく東京都千代田区一ツ橋の会社からタクシーに飛び乗った時のことである。「五輪をやって、だれか死んでも、だれもああして祭ってくれませんしねえ……」車が東京・九段にさしかかったあたりで、運転手さんが「ああして……」とあごを振った先が、薄暮に浮かぶ靖国神社の大鳥居だった。