【長崎原爆の日】「核兵器禁止条約」に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に安倍総理自ら公言されました。極めて残念でなりません。
1945年8月9日、13歳だった私は、爆心地から3・2キロ離れた自宅の2階で被爆しました。気を失った直後、爆風で飛んできた大きなガラス戸の下敷きになりました。幸いに奇跡的に無傷で助かりました。3日後のちょうど今ごろ、私は、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていました。探し当てた父方の伯母の家屋跡には、黒焦げになった伯母たち家族の遺体が転がっていました。